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神金湖之上老龍宮(掲示板)
- 1 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/08/29(Thu) 20:59]
- 儚龍(めんgろんg)の掲示板です。ここでは、コメントするまでも無い呟きをします。コメント内容が有用と判断した場合には各種活動空間・場所へ該当文の複製を行います。後々に使うような企画関連の話題は極力コメントの方で行って下さい。国家開拓 http://any.chi-zu.net/8847.html などで活動しています。宜しく。
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- 43 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/01(Sun) 19:31]
- >>40 アボリジナル自身も、本当に絶望的な資料の不足により詳細はわからずとも…ミシシッピ文明程度はあった現米国の土地にさえ及ばず、文明が発達し王朝レベルのものがあったとは言えず(集落や魚を捕まえる罠ぐらいはあった)、なんとそういう都市伝説さえもないらしい…。彼らは遺伝子学的にはオーストロネシア系で台湾から南下した(広義のモンゴロイド)らしいが、言語学的には語族の分布が北部のニューギニア島と接するあたりで混淆しているのみであり、そこから下は(資料の不存在により正確とは言えずとも現状は)全て(タスマニア島除く)がパマ・ニュンガン語族という驚くべき形態をしているとされる。推測するに、大陸北部と南部を分かつ砂漠地帯が”致命的に”交流を阻んだのだろう。
- 44 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/01(Sun) 19:47]
- >>44 この砂漠による”壁”は”致命的”であろう。気候が厳しいのはもちろん、中央アジアやサハラと比べてオアシスの数が少ない。大規模に遊牧民がいたと仮定しても、交易の効率性の悪さと過疎・気候からして少なくとも頻繁に行われてはいなかったと考えられる。但し、出土品の土器や装飾品の類似性からして完全に交流がなかったとも断定しかねる。
ミクロネシア周辺では、ナンマトルやレラなど大陸に劣らない城塞都市が、何故か、作られている。王朝の存在も肯定されている。インドネシアの発掘状況に鑑みれば、その影響があっただとか、将来的には言われそうだ。これらの文明にはアウトリガー船を用いた交易手段が備わっており、非常に航海には長けていた。しかし、砂漠のせいで、大陸北部はほぼ無人なので、その影響が遂に南下することはなかったと考えられる。しかし、ミクロネシアからメラネシアまでの関連性が強くなれば、大陸東部或いはニュージーランドを介した交易が営まれていたかもわからない。が、現状その証拠が無いばかりか、推測の手がかりにさえ欠ける。仮にそうだったとしても、あの大陸に高度な文明が発生することにはならない。
このような状況では、時代が経っても侵略勢力があの世界線の状況では消極的になってしまうのではないだろうか、と私は考えたくなかったけど考えざるを得ない(泣)
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