■掲示板に戻る■
全部
1-
21-
41-
61-
81-
101-
121-
141-
161-
181-
201-
221-
241-
261-
281-
301-
321-
最新50
↓最後
神金湖之上老龍宮(掲示板)
- 1 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/08/29(Thu) 20:59]
- 儚龍(めんgろんg)の掲示板です。ここでは、コメントするまでも無い呟きをします。コメント内容が有用と判断した場合には各種活動空間・場所へ該当文の複製を行います。後々に使うような企画関連の話題は極力コメントの方で行って下さい。国家開拓 http://any.chi-zu.net/8847.html などで活動しています。宜しく。
・注意事項
この掲示板にては、原則上、長文で書き込まれましても対応いたしかねます。特に企画関連については記録閲覧の便宜を図るためコメント欄を用いて下さい。
また、全てのレス・リプライに反応するとは限りません。
- 282 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 16:25]
- >>281 第三の問題は位置が奇怪なこと。元代に建州(明代の永明{アルチョーム}と双城子辺り)がアムール川流域より発展していたならば、わざわざ陸が近いポギピ辺りを使わずに作ることはできる…?(それはそれで驚きだが、地名記録状況からしておかしくはない話かも?)。だが、元代から清代にかけて記録された地名はほぼ北サハリンのみ。明代には亦失哈が来航して現地のアイヌ(わざわざサハリン東岸まで来ているあたりそれなりの勢力であっただろう)を冊封し波羅河(ポロナイ川、幌内川の意味)衛(※衛については後述)を設置している。対して南サハリンに言及する資料は(果夥城を白主土城に比定することやアイヌ側の動向を除いて)無い(地名を記録していない。民族については当てる漢字の違いはあるが吉里迷と庫頁のみで一貫している)。
- 283 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 16:50]
- >>282 何故か?以下考察
1.元(或いは金)が航路を忘れた説
元代の遠征では現地民を大量に動員する傾向がある。そのため記録を残すことを忘れた説。或いは動乱の中で資料が失われた。そのため後の中華の遠征者は律儀に(恐らく)ポギピ経由でサハリンに入った
2. 清隠蔽説(以下の隠蔽説とは、南サハリンに北同様かそれ以上に中華王朝が進出していたことを隠すということ)
清は満州を封禁地とし、露帝への対抗政策である闖関東まで漢民族入植を制限していた。サハリンアイヌと満州がアムール河口で接続があった場合には、サハリン島もそれに含まれていたとも解せる(現代の中国側の定義の外満州はしばしばサハリン島を含む)。その影響か?
3.露帝・蘇隠蔽説
国際法における先占権適用のために、清に圧力をかけて資料を破棄させた(そうだとすれば、後に南樺太が日本になることを認めたことについて合点がいく)
4.日露共同隠蔽説
釣魚・赤尾/尖閣諸島問題では、中国側は明代の資料を根拠に挙げている。また、中国は北方領土を“俄占“として日本の領土だとする姿勢を取り(※少なくとも現在の百度地図の表示)、海参崴·双城子·庫頁島の名称を盛んに使用し始めている。日露側から見れば、脅威なので、中国側の正当事由を減らすため、資料・遺跡を破壊するor発掘調査を制限し得る。
- 284 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 17:21]
- >>283 5.中国隠蔽説
中国にとって、ロシアは重要なパートナー国であるので、出来るだけ軋轢を回避したい。また、日本との領土的軋轢は直接利害が対立する中国南海(南シナ海)だけに集中したいだろう。しかし、中国国内の不況による世論・一部勢力過激化への恐れから関連資料を隠匿or抹消した
6.日露金欠説・中国消極的説
日本は戦前、いろいろな場所に支出していたため、発掘調査に積極的になる余裕が無かった(或いは、遺跡よりもインフラを優先していたため)。ロシア極東・サハリン州が金欠なのは言わずもがな。そして5.のような理由で中国が消極的だから
7.遺跡混淆説(あくまで可能性として)
中華だけでなく、実は日本側(安東氏?)や建州朝鮮族、靺鞨、韃靼、黒水部etcの遺跡があって、法的歴史的紛争の複雑化回避のために各国が憚っている説
8.サハリンいらない説(可能性として)
そんな辺境の島を支配したところでインフラ面で資金が取られるので歴史的領有正当化事由に興味が無い。資源についても、わざわざロシアと争う程でも無い。
9.安東氏orサハリンアイヌorオロッコが強かった説
地理的兵站や士気の都合上で中華側に何らかの問題があって首尾よく勝てなかった且つそれに対する資料が失われた説。この説だと、白主土城の存在に鑑みれば、拮抗した境界線があるはず。但し当時の安東氏の勢力とアイヌ部族の混淆した状況から難しさがある…
- 285 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 17:31]
- >>284
想像してみるとして、”面白い”のは、やはり隠蔽説・資料紛失説ではあるけども。私としては、豊原の平野、及び河口付近に元々何もなかった、ということなど、どうも納得しかねる部分がある…。
ただ、私はサハリンの地理状況について詳しくはないので、その辺が明らかになれば、納得し得る部分があるかもしれない。
- 286 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 17:53]
- 最後に”衛”について。
まず、明代以降の”衛”とは元々は役職であり、簡単に言えば、現地部族の酋長をその場所を統治する皇帝の臣下と認めることにより冊封するものである(対外部族に対するものは、”羈縻衛”と呼ばれる)。その仕組みの都合上、現代風に言えば自治区に近いのかもしれない。
衛には概ね城(現代の都市という意味ではなく、遺跡…土城など)が付き物だとするのは、 ”あくまで私の意見”だ。理由としては、衛の字義や他の場所に実際、土城があったから(例が無数にあるので历史地图と実際の遺跡の位置を照らし合わせよう)。外満州だけに注目しても、以下の三レベルに別れる。
1.確定レベル
ex.奴爾干衛 実際に土城或いは遺跡が発掘されていて、資料に明確にあるもの。
2.被疑レベル
ex. 建州(右)衛 資料に名前が確認できるが遺跡の存在が未だ確認されないものの内、資料からその場所と存在がある程度比定できるもの。この例で言えば、双“城”子或いは蘇“城”
3.可能性レベル
ex.波羅河衛 資料に名前が確認できるが遺跡の存在が未だ確認されないものの内、遺跡比定が困難なもの。
だからと言って、直ちに、“衛が資料にある=土城や遺跡がある“とはならない(重要) やはり、如何なる資料があれども、人間が記した以上は、フェイクがあると懐疑すべき。
- 287 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 18:14]
- ・白主土城を果夥城と比定した場合。※“白主“は松前藩の人?とか…とにかく日本人が命名している
白主土城は日治時代の本斗群好仁町に所在。だが、”果夥“は中国語で樹木に大量に果実がなっていることから転じて“(取るなど何か特定の行動をすれば)多く(の利益など)を得られる“という意味。現地の地名とは全く関係ない、いかにも遠征に相応しい名前。だから地名からアプローチすることはこの城に関しては意味がない。
城の規模や名前からすれば、征服を視野に入れていたことが推測できる。
尤も、中華がサハリンが島だという時期は利用可能な資料上、清代(皇與圖)なので、外満州の半島か何かだと看做していたと考えられるが…
- 288 ラプラス@sMUUnZES [2024/09/29(Sun) 18:29]
- >>287
好仁自体元々は宗仁と言う地名と名好(南名好)という地名が合わさった合成地名ですが、名好という地名自体の由来はヨモギがたくさんある場所なのでね…
それに普通に元があそこに拠点を構えた理由は全くわかりませんね、、
- 289 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 19:09]
- >>288 あの規模であるのと、資料から数万人送ったことがわかるので、「漂着して偶々そこに落ち着いた」ということはあり得ず、一時的にも一定の航路があったことが考えられます。
元(或いは金)があの位置に城を設置した理由は、利用可能な資料についてはどこにも記されていませんが、私の推測としては、地理的な理由を考えています。サハリンアイヌが東岸・豊原の平野双方に居住している中、好仁の岬に拠点を置けば、双方に進出することができます。例えば、山があるから真岡に拠点を設置してしまうと豊原の平野に進出することが困難となり、大泊に設置すれば(そもそも遠いですが)東岸が手薄になり、東岸にアイヌ側が押し寄せれば補給路を寸断される危険性があります。あの立地に白主土城があるということは、例えサハリン島が島だとわかっていなくても、ある程度周辺の地理を元や金が把握していたことが推測できるかと(だからこそ資料が無いことが不自然と感じます)。
- 290 ラプラス@sMUUnZES [2024/09/29(Sun) 19:38]
- >>289
今調べてみたところ個人的な予想ですが元が建てたとすれば動乱の際に資料が全て無くなったんではないでしょうか、、?(見れてはいませんが、元史とかにもしかしたら載ってる可能性も否めないが日本語で調べた範囲では起源についてはわからなかった
- 291 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 21:32]
- >>290 そうですよね、元崩壊時に残っていたとしても明代末期は混沌だったので書庫に被害があったかもしれませんし。ちなみに、白主土城を果夥城と比定したのは日本人学者の中村氏です。サハリン島南端に果夥城があると記述するのは、元史ではなく、元統2 (1334) 年刊「国朝分類(元文類)」という書です。界隈では結構著名な書物ですね
以下のサイトがソースを纏めています。https://www.sxlib.org.cn/dfzy/sczl/slgs_1/ltmmsdqmqdbysczlyj...
- 292 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 21:52]
- https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=862961&remap=gb
ああ、まじか、大学の蔵書アクセス権関係なくネットに中国の史書垂れ流されてるじゃねぇかwww
- 293 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 22:17]
- 元文類四十一巻に該当の文章は記述されているようですが、出力できない文字が多すぎて、やはり書籍版よりかは困難があるかな。
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=862961&searchu=%... に当該文章?は記述されているようだ
- 294 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 23:20]
- >>293 二ヴフ語でサハリンアイヌを指すKuyiに当てた「骨嵬(後の苦葉、庫頁)」という名前、それ自体が初期は好仁あたりの半島を示していた可能性も視野に入れてみるか…。中村氏が発音の類似から鬼国=骨嵬と言っていたが、それ以前に唐代に編纂された「新唐書」によれば、(黒水)靺鞨の一派として沿海州北部からサハリン北部にかけて「窟説部」が居住していたとされるので、それとの関連はどうなのかといった感じ。文字だけで言うならオホーツク=「流鬼」とか考えても…時代が合わないから…ねぇ…。
さて、どうやら蝦夷闔境山川地理取調大概図と元文類四十一巻では記されている地名では乖離があるな。新而元(Xin'er'yuan)とシラヌシ(アイヌ地名ですよね?意味がわかりますか?)が発音が似てるな、とか一瞬思ったが、「新而元」の元代の発音は「Sin jij jwεn」でした。
~完~
- 295 ななしさん@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 05:16]
- あ
- 296 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 05:18]
- 初回アクセスリセット頻発、問題はないから良いけど
- 297 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 06:35]
- 「吉烈滅」・「苦葉」、漢字の意味が悪いから、「吉里迷」・「庫頁」に音写され直されたのだろうと推測できる。けれども、一番最初に「吉里迷」・「庫頁」という記述をしたのはどの史書だろうか?清代以降?もしかしたら民国時代なのか?
- 298 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 07:06]
- ~中華思想に基づく異民族命名について~
広義・中立的定義:中華思想(華夷思想)とは、皇帝を中心に世界が回り、皇帝の威光に屈して自発的に周辺が朝貢しにくるという考え方。「中華」とあるが、単純に「(皇帝の治める)世界の中心的領土」という意味であり、「中央(皇帝と政府)」が中国である必要はなく、この思想は朝鮮・日本・越南にも援用されたことがある
仕組み:「中華」には1~4を含める。
1.中央(皇帝)の直接治める直隷領(現代的に言えば直轄市・首都に相当か) 2.州・府(現在でいう省) 3.(清代辺境の)都督府など(現在でいう自治区) 4.藩部(名目上は「中華」の領域に服属するが、事実上は独立国に近い)
この「中華」の外延が、「自発的に朝貢する文明レベルの劣った異民族」と定義されていたとされる「夷狄」。実質的な定義として、中華の実効支配領域に隣接していなければならないと私は考える。原則、臣下の礼により朝貢する。四夷:北狄・西戎・東夷・南蛮とされたように、中華からは蔑まれていたとされる。
・命名の方法
1.悪い意味の漢字をつける
例:朝鮮(直訳:朝貢品が少ない※諸説)、蒙古(頑なで古い※諸説)、夫余(余剰の者ども)、扶南(同上か?)、濊(汚らわしい)…etc
2.単に音写する
韃靼、鉄勒、女真…etc
- 299 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 07:17]
- >>298 中華思想観による命名の例外(本題)
1.異民族の力が中華を凌ぐ場合
異民族が強力である場合、「中華」と同等とする家族の礼を以て和睦する。ex:金など
2.「夷狄」よりさらに外延の場合(中華思想の認識する世界の外)
私が、「夷狄」の定義として中華の実効支配領域に隣接していなければならないと考えるのはこれ故である。
・命名の方法:音写or良い意味の漢字を当てる
例:安息(ペルシア)、大秦國(ローマ帝国)、天竺(インド?)…etc これは、現代中国語にも引き継がれていると考えることもできる: 英国(イギリス)、フランス(法国)、ドイツ(德国)、米国(美国)
- 300 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 07:31]
- >>299 ・「夷狄」か「範囲外」か諸説ある地域=蔑称と美称を持つ
・倭(大和朝廷に比定) ※倭は日本では和にとって代わられている
1.倭の本来の字義は「背の低い鬼」、魏「醜い矮小な鬼」などより上の字義であり中華と夷狄の関係では立場が逆転する説
2.倭の辺りが神話上の東瀛や扶桑に比定されたことを根拠とする説
・高句麗 ※高麗(こうらい)ではなく高麗(こま)
明確に、字義が良い意味である
・単なる音写説、民族名は蔑称である「濊貊」。オルホン碑文における音写が貊(の国)を表そうとしていた説
- 301 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 07:54]
- >>298-300 で言いたいことは、蔑称を持つ民族は原則的に中華と密接な交易関係があったことが示唆されうるということ。即ち、>>297の「吉烈滅」・「苦葉」は想定より中華側と関係が密接であったという説を提議したいということ。「吉烈滅」が元に服属していたこと、新唐書の黒水窟説部、から考えて、交易関係は想定より早く確立されていた可能性はある。元史と元文類の記述を合わせると、元のサハリン遠征には一部地域に半ば入植して(白主土城)、数万の大軍を用いているが、これはサハリンとの関係の深さがあれば合点がいく。
なお、黒水窟説部の居住している地域として確定しているのは沿海州北部であり、サハリン北部定住も示唆されるが、「吉烈滅」の進出方向と定住地域と重なる。そして資料から判断して中華側が清代までサハリンを島だと認識しておらず(間宮/韃靼海峡自体を黒竜江として認識していたのか??)サハリン島自体を沿海州北部と同視していた可能性がかなり高いと考えられる。鬼=骨嵬説も引用しつつ…
概ね唐代から元代~清代まで、二ヴフとサハリンアイヌは(定住後)、中華側の盛衰に応じて直接・間接の交易手段を以て(極論、黒竜江が使えれば交易できるが)、交易関係が継続していた(少なくとも認知され続けていた)可能性がある。 但し、「苦葉・苦夷(サハリンの住民全般を含む可能性あり)」=「骨嵬(元分類の記述からして、サハリンアイヌと確定できる)」かは疑わしい。
- 302 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 08:09]
- 1.窟説=吉烈滅(唐代) 2.骨嵬=サハリンアイヌ(元代) と仮定。そうすると、北海道からアイヌが元代あたりに北上し吉烈滅を放逐していったということが考えられる。
・流鬼との関係(チュクチ説への反論)
唐代に朝貢した流鬼(国)は、オホーツク人だったとする説がある。けれども、中華側からは地理的に遠すぎるため、オホーツク人・吉烈滅・アイヌを峻別することは(大規模な対立が起きなければ)ほぼ不可能。そして、庫頁の語源は:1二ヴフ語のアイヌに対する名称であるカイから 2窟説から だが、いずれにせよ、語源的には「流鬼」という名称が他に影響を与えていた可能性がある(或いは永く同視していたか)。流鬼がサハリンを指している可能性もあると言っても尚早ではないかもしれない?
- 303 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 08:20]
- 蒙古高原方面の北新疆西部の鉄路建設をもう少し熟考するか
- 304 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 13:49]
- 正直、個人的には蒙古と朝鮮、倭については蔑称ではないと考えているが、極論、漢字を使う限り悪い意味は避けられないか…()
- 305 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 17:54]
- “悪意なき純粋なネタとして”国の存在を消すシリーズ、風刺やその国の正負の功績や影響力の再確認になって良いね() 一時期米国圏で流行ってた記憶
- 306 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 18:29]
- 参加者の頭数的には“開拓”が衰えたかな?多数派は世界形成みたいな”カジュアルな”企画を求めているようだ。それもまた良しだが、開拓企画過疎化については感情的には寂しい感じもするな
国家開拓については対象年齢的に半ばサイトのOutsiderと化している()
- 307 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 18:43]
- 国慶節。中華人民共和国は建国75周年です。これからも真夏の夜については114514つの中国の原則遵守を他国に促すとともに、特色社会主義の野獣外交を胸にかけてゆきましょう。
- 308 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 19:55]
- 韃靼海峡は津軽海峡みたいに公海を挟んでおこうかな。
- 309 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 22:07]
- 海老名って地名かわいくないか?
- 310 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 22:11]
- 昌吉古城、というものがあるのか…知らなかった。昌吉は完全な新興都市だと思っていた…
- 311 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/03(Thu) 01:01]
- マウンタニアは漸次的に開拓 カタンガ辺りをコバルタニアにするか
- 312 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/03(Thu) 12:17]
- ウルムチ地下鉄は今は1号線だけだけど、計画上は4号線まで+昌烏線がある。昌烏線は1号線国际机场(国際空港)駅から昌吉まで結ぶ予定の快速軌道交通。私独自のアイデアだと思ってたんだけど、現実に計画されていましたね。恥ずかしい。
大華の巩寧は、昌吉も含んでいることもあるがウルムチより人口が些か多いし、軌道交通整備は法制化されているということで、それらを全て整備する予定(やりすぎ?)
- 313 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/03(Thu) 13:05]
- >>291 なるほど。恐れながら、国際性・一覧性と司書提示に優れていて素晴らしい情報片かな、と思います。やはり北海道や南樺太にアイヌの痕跡が多いから、日本における研究が主流か。ただ、いらないだろうけど一応補足。
まずは、”明永乐年间,阿依努人也在明王朝管辖下,建置了卫”とは波羅河衛のこと(文脈から。また他に該当するものがないため)。あの辺りのアイヌ(多来加アイヌ?)を指すのであって、アイヌ人全体が服属していたわけではない。
次に、“根据《库页岛名寄文书中的满洲文》档案文书记载,这一地区有的少数民族称日本国为“西山大国”,即“西山国”、“西散国”,他们把前往日本国进行交易称为“至西山国穿官””とあるが、西山と西散はアイヌ語で和人を指す”Siisam”の音写。ただ“大国“となっているのは何のアイヌ語を訳出したのか不明。モシリとか?
最後の”蝦夷国”というのは、”高山国”のように、昔の中国では王朝が成立していなかろうと異民族のグループを指して”国”と表現することがあるからおかしくはない。
- 314 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/03(Thu) 20:18]
- Wikipedia Englishを軽くみてたら、ウルムチについての疑問が全て解決して草 私の不勉強だわ
・迪化(干腾格里モスクがあるところ)と鞏寧(巩宁)は元々は別の都市(双方城塞都市)
・鞏寧城はカシュガル部のヤクブ・ベグとドゥンガン・ムスリムとの間に起こったウルムチ之戦いで破壊された
・鞏寧城の別名の老满城は単に清が建設したから
- 315 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/03(Thu) 20:27]
- “Wikipedia”だけに限るならば、比較的という文脈にて国際的・中立的・蓋然的な有利な点としては、例え局地的な情報を求めたとしても、英語版を優先的に見た方が良いかもと思い始めた
- 316 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/04(Fri) 06:40]
- 日本の”私鉄””民鉄”っというのが私は好きなんだが、国家開拓世界線だとなかなか生かせないのがなぁ…。WPTO諸国や大阪民主主義は国体上あり得ないし(運営委託はあり得る)、その他の国も戦時中のような状態だからなぁ。近鉄とか東武とか大好きなのに
- 317 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/04(Fri) 06:50]
- >>316 日本の鉄道だと、けいはんな線・西神山手線・田園都市線・いずみ野線が好き!この”癖”から軌道交通が好きなことがまる解り
- 318 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/04(Fri) 08:24]
- 日本の小学生と中学生は朝に浮上できるのか。教育用端末を使ってるからかな?
- 319 さんかく@KFQpwk.o [2024/10/04(Fri) 16:13]
- >>318
都心の小学校(と中学校)は公立でも連絡用でスマホ持っていける学校が多いので(校内で使用できないと思うけど)電車やバスで投稿する人なら登校時間(~8:00)スマホ少し見るとかはできると思います。9~pm3時とかに使っている奴は多分こそこそ授業中やっているのか?そこは良く分からん。
- 320 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/05(Sat) 08:06]
- >>319 なるほど。小学・中学の段階でそこまで端末の使用を開放しているのか…。
- 321 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/05(Sat) 08:13]
- Wikipedia、便利だけど、ある程度の(検索や研究の)道順を示す程度に使用するのが良いのであって、やはり…という感想。ソースがあれば何でもいいと言う風潮がWikipedianに漂っている。英語版が比較的中立的・蓋然的な記述になっているのは無数の編集合戦の残滓。国家や組織の密偵・工作員・AIも入り込み放題。
- 322 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/05(Sat) 08:19]
- ただ公共性のある書籍・記事・論文が閉鎖されたソースになっている=「便利じゃない」ということが退廃したWikipediaを齎した一番の原因だろう。金を取るのは仕方がないが、それをいつまでも閉鎖しているという行為自体が、私利私欲に塗れてその主張や研究の価値を損ねているということが分かる
でもね、局地的な情報についてはね、その母数自体が少ないのでね…詰み。
- 323 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/05(Sat) 08:39]
- Kinshasaの人口いつみても多すぎる
- 324 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/05(Sat) 14:12]
- 好き地図毛細血管(ry 流行ってるのか??
- 325 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/05(Sat) 16:39]
- 正直、空地に対するモチベーションが…尽きてきた…
- 326 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/06(Sun) 07:25]
- 銃乱射事件が頻発しているな…
- 327 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/06(Sun) 08:41]
- 遂に鞏寧(巩宁)の都市の道路を完成した。思ったより長かったような短かったような。
あとは奎屯、石河子、庭州(ジムサル)、ボルタラ、バリクンだけなのでやる気さえあればすぐ終わる感じか。
- 328 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/06(Sun) 09:01]
- 鞏寧(巩宁)は人口490万程度の予定。当初、南部を開発して590万程度にする予定だったが、新疆分断・イルティシュ川併合etcでいくら都市の価値が現実より増していると言えどもやりすぎ感があるので修正。市街地面積を拡大し、昌吉も併合している(市街地改造・拡大を行わない場合、現実の人口で換算すると451万となる)ので相当かな。ここでは、人口の多数を占める漢民族は、半数が、闯关东派ではなく、青海の回廊・四川・甘粛などから拠出されている者が母体。回族も少なくない。加えて、蒙古地域が遼寧と同様の発展を享受しているので、現実よりハルハやオイラトのモンゴル族の数が2~3倍に増えている。北新疆では、カザフ族とウイグル族は史実通りの人口。
- 329 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/06(Sun) 09:24]
- 一番の問題は、鞏寧(巩宁)=ウルムチの接続路。史実では天山南路や河西回廊に沿って鉄路を引いて、西安や上海まで接続している(会国とかは将来的にそうする)。
しかし、大華では首府天陽とを結ぶとなるとゴビ砂漠南部を横断しなければならない。シリンゴールまでは問題ないし、ハンボクドなどを通ればオアシスはあるのでできなくはないが、天山南路と比較すると都市が無いことが著しいことだ。頼みの高速鉄道や国道・高速道路は、紅崖(クラスノヤルスク)方面との接続のためにウランバートルやカラコルムなどゴビ砂漠北部を通っているので二重に作ると過剰整備必死。
- 330 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/06(Sun) 09:32]
- そのため、カラコルムから分岐させるとして、バヤンホンゴルー(北)アルタイという過疎区間を通り、バリクン・庭州経由で鞏寧(巩宁)に至るルートが建設コストが少なく最短なのかな。政治・軍事・貨物・安全保障上建設しなければならないが、高速道路は流石に採算が取れないだろうから、国道と国鉄を高規格で建設して、国鉄と高速鉄道の線路を供用にしてしまおうか。
鞏寧(巩宁)=ウルムチの経済圏自体がカシュガルと会国などへの牽制になるから孤立させてはいけない。
←戻る
全部
前10 ↑先頭
■掲示板に戻る■
read.php ver2 (2004/1/26)