■掲示板に戻る■
全部
1-
21-
41-
61-
81-
101-
121-
141-
161-
181-
201-
221-
241-
261-
281-
301-
321-
最新50
↓最後
神金湖之上老龍宮(掲示板)
- 1 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/08/29(Thu) 20:59]
- 儚龍(めんgろんg)の掲示板です。ここでは、コメントするまでも無い呟きをします。コメント内容が有用と判断した場合には各種活動空間・場所へ該当文の複製を行います。後々に使うような企画関連の話題は極力コメントの方で行って下さい。国家開拓 http://any.chi-zu.net/8847.html などで活動しています。宜しく。
・注意事項
この掲示板にては、原則上、長文で書き込まれましても対応いたしかねます。特に企画関連については記録閲覧の便宜を図るためコメント欄を用いて下さい。
また、全てのレス・リプライに反応するとは限りません。
- 286 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 17:53]
- 最後に”衛”について。
まず、明代以降の”衛”とは元々は役職であり、簡単に言えば、現地部族の酋長をその場所を統治する皇帝の臣下と認めることにより冊封するものである(対外部族に対するものは、”羈縻衛”と呼ばれる)。その仕組みの都合上、現代風に言えば自治区に近いのかもしれない。
衛には概ね城(現代の都市という意味ではなく、遺跡…土城など)が付き物だとするのは、 ”あくまで私の意見”だ。理由としては、衛の字義や他の場所に実際、土城があったから(例が無数にあるので历史地图と実際の遺跡の位置を照らし合わせよう)。外満州だけに注目しても、以下の三レベルに別れる。
1.確定レベル
ex.奴爾干衛 実際に土城或いは遺跡が発掘されていて、資料に明確にあるもの。
2.被疑レベル
ex. 建州(右)衛 資料に名前が確認できるが遺跡の存在が未だ確認されないものの内、資料からその場所と存在がある程度比定できるもの。この例で言えば、双“城”子或いは蘇“城”
3.可能性レベル
ex.波羅河衛 資料に名前が確認できるが遺跡の存在が未だ確認されないものの内、遺跡比定が困難なもの。
だからと言って、直ちに、“衛が資料にある=土城や遺跡がある“とはならない(重要) やはり、如何なる資料があれども、人間が記した以上は、フェイクがあると懐疑すべき。
- 287 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 18:14]
- ・白主土城を果夥城と比定した場合。※“白主“は松前藩の人?とか…とにかく日本人が命名している
白主土城は日治時代の本斗群好仁町に所在。だが、”果夥“は中国語で樹木に大量に果実がなっていることから転じて“(取るなど何か特定の行動をすれば)多く(の利益など)を得られる“という意味。現地の地名とは全く関係ない、いかにも遠征に相応しい名前。だから地名からアプローチすることはこの城に関しては意味がない。
城の規模や名前からすれば、征服を視野に入れていたことが推測できる。
尤も、中華がサハリンが島だという時期は利用可能な資料上、清代(皇與圖)なので、外満州の半島か何かだと看做していたと考えられるが…
- 288 ラプラス@sMUUnZES [2024/09/29(Sun) 18:29]
- >>287
好仁自体元々は宗仁と言う地名と名好(南名好)という地名が合わさった合成地名ですが、名好という地名自体の由来はヨモギがたくさんある場所なのでね…
それに普通に元があそこに拠点を構えた理由は全くわかりませんね、、
- 289 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 19:09]
- >>288 あの規模であるのと、資料から数万人送ったことがわかるので、「漂着して偶々そこに落ち着いた」ということはあり得ず、一時的にも一定の航路があったことが考えられます。
元(或いは金)があの位置に城を設置した理由は、利用可能な資料についてはどこにも記されていませんが、私の推測としては、地理的な理由を考えています。サハリンアイヌが東岸・豊原の平野双方に居住している中、好仁の岬に拠点を置けば、双方に進出することができます。例えば、山があるから真岡に拠点を設置してしまうと豊原の平野に進出することが困難となり、大泊に設置すれば(そもそも遠いですが)東岸が手薄になり、東岸にアイヌ側が押し寄せれば補給路を寸断される危険性があります。あの立地に白主土城があるということは、例えサハリン島が島だとわかっていなくても、ある程度周辺の地理を元や金が把握していたことが推測できるかと(だからこそ資料が無いことが不自然と感じます)。
- 290 ラプラス@sMUUnZES [2024/09/29(Sun) 19:38]
- >>289
今調べてみたところ個人的な予想ですが元が建てたとすれば動乱の際に資料が全て無くなったんではないでしょうか、、?(見れてはいませんが、元史とかにもしかしたら載ってる可能性も否めないが日本語で調べた範囲では起源についてはわからなかった
- 291 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 21:32]
- >>290 そうですよね、元崩壊時に残っていたとしても明代末期は混沌だったので書庫に被害があったかもしれませんし。ちなみに、白主土城を果夥城と比定したのは日本人学者の中村氏です。サハリン島南端に果夥城があると記述するのは、元史ではなく、元統2 (1334) 年刊「国朝分類(元文類)」という書です。界隈では結構著名な書物ですね
以下のサイトがソースを纏めています。https://www.sxlib.org.cn/dfzy/sczl/slgs_1/ltmmsdqmqdbysczlyj...
- 292 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 21:52]
- https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=862961&remap=gb
ああ、まじか、大学の蔵書アクセス権関係なくネットに中国の史書垂れ流されてるじゃねぇかwww
- 293 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 22:17]
- 元文類四十一巻に該当の文章は記述されているようですが、出力できない文字が多すぎて、やはり書籍版よりかは困難があるかな。
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=862961&searchu=%... に当該文章?は記述されているようだ
- 294 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/09/29(Sun) 23:20]
- >>293 二ヴフ語でサハリンアイヌを指すKuyiに当てた「骨嵬(後の苦葉、庫頁)」という名前、それ自体が初期は好仁あたりの半島を示していた可能性も視野に入れてみるか…。中村氏が発音の類似から鬼国=骨嵬と言っていたが、それ以前に唐代に編纂された「新唐書」によれば、(黒水)靺鞨の一派として沿海州北部からサハリン北部にかけて「窟説部」が居住していたとされるので、それとの関連はどうなのかといった感じ。文字だけで言うならオホーツク=「流鬼」とか考えても…時代が合わないから…ねぇ…。
さて、どうやら蝦夷闔境山川地理取調大概図と元文類四十一巻では記されている地名では乖離があるな。新而元(Xin'er'yuan)とシラヌシ(アイヌ地名ですよね?意味がわかりますか?)が発音が似てるな、とか一瞬思ったが、「新而元」の元代の発音は「Sin jij jwεn」でした。
~完~
- 295 ななしさん@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 05:16]
- あ
- 296 儚龍(めんgろんg)@KY6AgBod [2024/10/02(Wed) 05:18]
- 初回アクセスリセット頻発、問題はないから良いけど
←戻る
全部
前10 次10 ↑先頭
■掲示板に戻る■
read.php ver2 (2004/1/26)