■掲示板に戻る■ □過去スレ一覧□ 全部 1- 21- 41- 61- 81- 101- 121- 141- 161- 181- 201- 221- 241- 261- 281- 301- 321- 341- 361- 381- 401- 421- 441- 461- 481- 501- 最新50 ↓最後

レスが 490 を超えてます。500 を超えると書き込み出来なくなるよ
レスが 500 を超えてます。残念ながら全部は表示しません
ラプラスのスレ14 「空地唯一のリア充へ」

1 ラプラス@qqGBTtsS [2023/09/29(Fri) 16:26]
No.31468北方大開発
No.30587敷香市又はNo.50621
No.34192奔留加市
No.38845陰是淕市
No.37269黒津市
No.49125夷渚市
どうも14番目のスレです。
前回のスレは1ヶ月とかいう短い時間で終わりましたね()
スレタイは学校で好きな子がいるんですけど、その子と結ばれたいな、、という気持ちですね()はい()
>>1-501


181 つくね@zXB0rkw0 [2023/10/13(Fri) 07:32]
>>180
ただ長岡?ー上越間を高速化するプロジェクトはあるらしいです()

182 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/13(Fri) 18:13]
>>181
あの辺は必須かも

いきなりだけど沖縄鉄道(仮)って何方式がいいんだろうリニア方式とかトラム方式だと糸満〜名護と支線を作る上では流石に建設費がエグいことになりそうなのでまだ鉄道の方が(笑)

183 さんかく@2qiUmu2y [2023/10/13(Fri) 18:41]
>>182似た計画路線の沖縄鉄軌道はリニモって言おうと思ったら今は違うみたい https://x.gd/cUVhH ちなみにB/Cはすべて1以下です

184 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/13(Fri) 19:03]
>>183
ですよね、、
整備新幹線法使って新幹線規格で、、とも考えましたけどそれならまだ一般鉄道で建設した方が費用がアレだろうし、法律上の新幹線の定義は毎時200km以上だからなぁ、、
地域輸送も含めてね、、
でもトラムトレインで那覇〜名護間を60分切れないのはほんときつい

185 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/13(Fri) 19:15]
仮に標準鉄道で建設しても5000万あれば足りるんだろうけど赤字回収できるのか、、w

186 さんかく@2qiUmu2y [2023/10/13(Fri) 19:33]
そういえば沖縄鉄軌道計画と沖縄鉄道って関係あるの?

187 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/13(Fri) 19:36]
>>186
というか元は同じで北方開発に伴う日本全国の再開発に伴い計画・建設されたって感じ

188 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 12:34]
政治的な話をするが
ガザ住民の避難の理由って地上侵攻もありそうだけど
地上侵攻後に核を使ってハマスを炙り出すのでは、?
調べてみたところ核の隠し持ち説が一定数あるっぽいし

189 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 12:52]
北谷方面への鉄道は宜野湾から分岐するよりも沖縄市駅から分岐した方がいい気がしてきた

190 さんかく@2qiUmu2y [2023/10/14(Sat) 15:47]
北方の世界だと沖縄鉄道のある沖縄ってまだ米軍基地残っている設定なの?それともまだあるけど今後完全撤退みたいな感じ?

191 肥後だろう@tKl0MqES [2023/10/14(Sat) 15:51]
>>188
イスラエルが核を持ってるのはほぼ確定的。
だけどあくまで自国主張領土のガザ地区を逆ベルカみたいなことはすることはないんじゃないかなぁ。自国支配するのに核汚染するのは意味が無い。

192 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 17:40]
>>190
辺野古基地完成に伴い宜野湾の普天間基地とキャンプ桑江の返還が予定されていたものの、中華独立戦争により返還計画が終戦まで凍結されるが普天間基地に関しては人民軍による空爆で普天間基地への攻撃により普天間基地の機能は殆ど無効となり2028年に日本側へ返還され、その後も独立連合軍の優勢により民国陣営の領土に基地が置かれたためキャンプ桑江も返還されたっていう感じ。
でも嘉手納基地と辺野古基地は返還されていないって感じ

193 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 17:50]
>>191
まぁそう言われてみればそうかな、、?

194 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:26]
そして実際、S自身の説明から判断すると。P.Aruchkaの住居であるKrasheennikova [2, p. 68]は、南から流れ込むアガン川(現在のYavinskaya 1st)が南から流れ込んだ場所の近く、Ishkhachan川(現在のYavinskaya 2nd River)の河口の近くにありました。しかし同時に、海からのヤヴィンスカヤ第2川の最初の支流は、アルチカの旧住宅の南ではなく、東に5kmと7km流れ込みます。そして、ヤヴィンスカヤ第1川(イシュハチャン川または単にヤヴィナ、甘やかされたアアンガンから)の支流は非常に小さいので、小さいとはいえ、川と呼ぶことは単に不可能です。さらに、彼らは南西または北東からこの川に流れ込みます。ナートパスが走った海岸から、ヤヴィンスキー尾根の後ろにある彼らの谷は、単に見えないという事実は言うまでもありません。だから、イシュカチャン川の南10セントのヤヴィンスカヤ川への「小さな川カンハンガク」の合流点について話すと、S。P.クラシェニンニコフは明らかに言い間違えた。そして、それが現代の「6番目の数字」ストリームだけが本当にそのような「小さな川」になることができる理由です。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2013/bolsherezk-pauzhetka

のイシュカチャンってイシハチャでヤヴァチンはヤヴェノ(ヤーウェン)かな?

195 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:29]
ハイキングV。アトラソヴァ(アリュトル川からカムチャツカ川まで)。ビカソフV。E. アリュートル川から、分遣隊Bが示されています。アトラソヴァはベーリング海の海岸をたどり、カムチャツカ地峡のすぐ南に位置するヴァロヴァヤム川に向かった。その谷とベラヤ川の谷に続いて、分遣隊はスレドニーリッジを渡り、空の川の上流に行き、そこから半島の西海岸に沿って南に向かいました。ティギル川の河口から、コサックはナパン川に沿ってティカヤ・ハイルゾヴァ川まで行き、その後、その谷とアナヴガイ川の谷に沿って、ビストリンスキーの尾根を通って峠に登り、カフトゥン川を下ってカムチャツカ川まで行きました。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2012/tropoy-vladimira-atlasova


アトラソフの別名はアリュトルか、、

196 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:33]
ゴリギナ川自体(Nyngych)Sについて。P.クラシェニンニコフは次のように書いています:「各川がこの川に流れ込みます(Opala, V.B.) しかし、その多くは、その口の近くの南東側からそれに落ちたNynguchu以外の貴族はいません。ニングチャ川はオパールよりも小さくなく、そのピークのある遠い場所から出てきた。コサックは、最初のロシアのキャンペーン中に、コサック・ゴリギンがそこに姿を消したため、彼女のゴリギナというニックネームを付けました」[ibid., p.143]。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2013/bolsherezk-pauzhetka


ニングチュはヌイングチュかな?

197 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:38]
やっぱり
口から何マイルも離れて、喫煙者アルチカの避難所に立ち寄り、そこで彼らは「大きな嵐の後ろに」1日半滞在した。 すでに述べたように、アルフカの住居は、アアンガン川(現在のヤヴィンスカヤ1st)川が南から流れ込んだ場所で、イシュハチャン川(現在のヤヴィンスカヤ2nd)のほとりに立っていました。R.クラシェニンニコワ、「流れは海の近くにある」[2, p.68]。ところで、イシュカチャン川といえば、S.P.クラシェニンニコフは次のように指摘している。「イシュハチャン川は単にヤヴィナと呼ばれ、その名前は甘やかされたアアンガンに由来している」[ibid., p.68]。つまり、それ以来、1つの共通の口を持つが、1つの川は、実際には同じ名前と呼ばれていたが、一般的に異なる2つが判明した。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2013/bolsherezk-pauzhetka

イシュハチャン(ヤーウェンの少し北)だわこれ

198 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:40]
3月25日、2つのサイクロンの間の短い休憩中に、旅行者は、上記のように、現在「6番目の番号」と呼ばれる小川のほとりにあるAruchkaの家の南10 vultsに位置するKurilian man Kozhokchiの家に滑り込むことができました。私たちが3日間「大嵐の後ろ」に住んでいた場所。そして、私たちは3月29日にのみパウゼヘツキーの「温水」に移動しました。 そして、それはSの説明の場所です。P.Krasheninnikovaは再び、いくつかの問題が発生し、今回は個々の地理的オブジェクト間の距離に関連しています。そして実際、上記の説明Cの冒頭で。P.クラシェニンニコフは、彼の計算によると、コジョクチンの住宅からオゼルナヤ川までの道の長さは7つのベスト、オゼルノフスキーの鍵まで - 16のベストであると報告しています。しかし、実際には、オゼルノフスキーの鍵はオゼルナヤ川の河口から13kmに位置しています。だから、コジョクチン住宅からオゼルノフスキーの鍵までの距離は、Sと呼ばれています。P.クラシェニンニコフは現実よりも約4ヴァーツ少ない。 彼はまた、コジョクチンの住宅からパウズヘト温泉までの総距離を決定する際にも間違っていた。なぜなら、3月29日の正午2時にコジョッキの住居を出た後、旅行者は朝7時頃にホットキーに到着し、クラシェニンニコフ自身の計算によると、22½のレッストを克服した。実際、「第6数」小川からパウズヘト温泉までの距離は少なくとも30ウェルツ(km)です。しかし、これらの間違いは根本的に重要ではなく、それらが存在するという理由だけで注意しました。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2013/bolsherezk-pauzhetka

コジョクチンって初めて聞いたな

199 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 22:34]
最近このサイトでの活動方針が色々と曖昧なのでもしかしたら失踪するかもですがご了承ください(笑)

200 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 22:35]
国家開拓に関しては時間なさすぎてもしかしたら破棄するかも


←戻る 全部 前10 次10 ↑先頭

read.php ver2 (2004/1/26)