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ラプラスのスレ14 「空地唯一のリア充へ」

1 ラプラス@qqGBTtsS [2023/09/29(Fri) 16:26]
No.31468北方大開発
No.30587敷香市又はNo.50621
No.34192奔留加市
No.38845陰是淕市
No.37269黒津市
No.49125夷渚市
どうも14番目のスレです。
前回のスレは1ヶ月とかいう短い時間で終わりましたね()
スレタイは学校で好きな子がいるんですけど、その子と結ばれたいな、、という気持ちですね()はい()
>>1-501


187 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/13(Fri) 19:36]
>>186
というか元は同じで北方開発に伴う日本全国の再開発に伴い計画・建設されたって感じ

188 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 12:34]
政治的な話をするが
ガザ住民の避難の理由って地上侵攻もありそうだけど
地上侵攻後に核を使ってハマスを炙り出すのでは、?
調べてみたところ核の隠し持ち説が一定数あるっぽいし

189 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 12:52]
北谷方面への鉄道は宜野湾から分岐するよりも沖縄市駅から分岐した方がいい気がしてきた

190 さんかく@2qiUmu2y [2023/10/14(Sat) 15:47]
北方の世界だと沖縄鉄道のある沖縄ってまだ米軍基地残っている設定なの?それともまだあるけど今後完全撤退みたいな感じ?

191 肥後だろう@tKl0MqES [2023/10/14(Sat) 15:51]
>>188
イスラエルが核を持ってるのはほぼ確定的。
だけどあくまで自国主張領土のガザ地区を逆ベルカみたいなことはすることはないんじゃないかなぁ。自国支配するのに核汚染するのは意味が無い。

192 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 17:40]
>>190
辺野古基地完成に伴い宜野湾の普天間基地とキャンプ桑江の返還が予定されていたものの、中華独立戦争により返還計画が終戦まで凍結されるが普天間基地に関しては人民軍による空爆で普天間基地への攻撃により普天間基地の機能は殆ど無効となり2028年に日本側へ返還され、その後も独立連合軍の優勢により民国陣営の領土に基地が置かれたためキャンプ桑江も返還されたっていう感じ。
でも嘉手納基地と辺野古基地は返還されていないって感じ

193 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 17:50]
>>191
まぁそう言われてみればそうかな、、?

194 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:26]
そして実際、S自身の説明から判断すると。P.Aruchkaの住居であるKrasheennikova [2, p. 68]は、南から流れ込むアガン川(現在のYavinskaya 1st)が南から流れ込んだ場所の近く、Ishkhachan川(現在のYavinskaya 2nd River)の河口の近くにありました。しかし同時に、海からのヤヴィンスカヤ第2川の最初の支流は、アルチカの旧住宅の南ではなく、東に5kmと7km流れ込みます。そして、ヤヴィンスカヤ第1川(イシュハチャン川または単にヤヴィナ、甘やかされたアアンガンから)の支流は非常に小さいので、小さいとはいえ、川と呼ぶことは単に不可能です。さらに、彼らは南西または北東からこの川に流れ込みます。ナートパスが走った海岸から、ヤヴィンスキー尾根の後ろにある彼らの谷は、単に見えないという事実は言うまでもありません。だから、イシュカチャン川の南10セントのヤヴィンスカヤ川への「小さな川カンハンガク」の合流点について話すと、S。P.クラシェニンニコフは明らかに言い間違えた。そして、それが現代の「6番目の数字」ストリームだけが本当にそのような「小さな川」になることができる理由です。

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のイシュカチャンってイシハチャでヤヴァチンはヤヴェノ(ヤーウェン)かな?

195 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:29]
ハイキングV。アトラソヴァ(アリュトル川からカムチャツカ川まで)。ビカソフV。E. アリュートル川から、分遣隊Bが示されています。アトラソヴァはベーリング海の海岸をたどり、カムチャツカ地峡のすぐ南に位置するヴァロヴァヤム川に向かった。その谷とベラヤ川の谷に続いて、分遣隊はスレドニーリッジを渡り、空の川の上流に行き、そこから半島の西海岸に沿って南に向かいました。ティギル川の河口から、コサックはナパン川に沿ってティカヤ・ハイルゾヴァ川まで行き、その後、その谷とアナヴガイ川の谷に沿って、ビストリンスキーの尾根を通って峠に登り、カフトゥン川を下ってカムチャツカ川まで行きました。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2012/tropoy-vladimira-atlasova


アトラソフの別名はアリュトルか、、

196 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:33]
ゴリギナ川自体(Nyngych)Sについて。P.クラシェニンニコフは次のように書いています:「各川がこの川に流れ込みます(Opala, V.B.) しかし、その多くは、その口の近くの南東側からそれに落ちたNynguchu以外の貴族はいません。ニングチャ川はオパールよりも小さくなく、そのピークのある遠い場所から出てきた。コサックは、最初のロシアのキャンペーン中に、コサック・ゴリギンがそこに姿を消したため、彼女のゴリギナというニックネームを付けました」[ibid., p.143]。

Читать полностью: https://www.bykasov.com/2013/bolsherezk-pauzhetka


ニングチュはヌイングチュかな?

197 ラプラス@qqGBTtsS [2023/10/14(Sat) 21:38]
やっぱり
口から何マイルも離れて、喫煙者アルチカの避難所に立ち寄り、そこで彼らは「大きな嵐の後ろに」1日半滞在した。 すでに述べたように、アルフカの住居は、アアンガン川(現在のヤヴィンスカヤ1st)川が南から流れ込んだ場所で、イシュハチャン川(現在のヤヴィンスカヤ2nd)のほとりに立っていました。R.クラシェニンニコワ、「流れは海の近くにある」[2, p.68]。ところで、イシュカチャン川といえば、S.P.クラシェニンニコフは次のように指摘している。「イシュハチャン川は単にヤヴィナと呼ばれ、その名前は甘やかされたアアンガンに由来している」[ibid., p.68]。つまり、それ以来、1つの共通の口を持つが、1つの川は、実際には同じ名前と呼ばれていたが、一般的に異なる2つが判明した。

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イシュハチャン(ヤーウェンの少し北)だわこれ


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