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【IF勘察加】のメモ帳
- 1 まゆG民@EPyBHB6d [2023/08/03(Thu) 01:22]
- 意見や質問あったらどぞ〜(おそらくないけどな)
- 321 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/15(Wed) 22:50]
- コリャキの名前の由来は、コリャーク人が住んでいたから…というらしいんだが、実際にはエリゾヴォの方に住んでいた可能性の方が高くて、コリャキという地名は相応しくない!という意見をみた。コリャキに新しい名前をつけるとしたら、カヴァンカがええらしい。けどなんかしっくりこないから(?)コリャクスカヤ川の旧名からとって、クーナムという名前を付けた方がいいじゃあないかな、と私は思う。
- 322 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/15(Wed) 22:54]
- そしてコリヤク山の旧名がなぜ、スレドニ(矢印)山という名前なのかと言うと…鏃の跡や鏃をその山から取っていたから、そういう名前がついたらしい。
- 323 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/15(Wed) 22:54]
- コリャキの名前の由来は、コリャーク人が住んでいたから…というらしいんだが、実際にはエリゾヴォの方に住んでいた可能性の方が高くて、コリャキという地名は相応しくない!という意見をみた。コリャキに新しい名前をつけるとしたら、カヴァンカがええらしい。けどなんかしっくりこないから(?)コリャクスカヤ川の旧名からとって、クーナムという名前を付けた方がいいじゃあないかな、と私は思う。
- 324 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/15(Wed) 22:54]
- アヴァチャ港=若絹(にゃくきぬ)
南の方の港=垂似奈(たれにな)
ミルコヴォのカヴィチャ川=穂豚(ほぶた)
セマリャチェク=狭智(せまち)
ナリチェの一部の地名=河原(かわら)
…カムチャツカってティカヤ(静かな)っていう地名多いから知茅という名前があってもおかしくない。
- 325 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/15(Wed) 23:07]
- まて変な連投した どういうこっちゃ
- 326 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/15(Wed) 23:37]
- マヤチニ岬は波上(ばうわ)岬にするかぁな?
- 327 ラプラス@qqGBTtsS [2023/11/16(Thu) 00:31]
- >>322
矢尻山とかありそう()
>>324
カヴァチャってそもそもがイテリメン語地名じゃないんだ、、意外(Ича同様)
- 328 ラプラス@qqGBTtsS [2023/11/16(Thu) 00:33]
- >>327
そもそも語尾に「チャ」がつくからイテリメンだと思ってたということです()
ちなみ「ホブタ」って何処で見つけましたか?
- 329 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/16(Thu) 07:51]
- >>328
https://www.bykasov.com/2014/oshibki-khronologii-pk
ですね〜
元々、ホブィチャだったものに、穂豚という字を当てた感じです。
穂吹でもいいかな…
- 330 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/16(Thu) 07:52]
- 9月上旬、分遣隊は、カヴィチャ(ポヴィチャ)、ジュパノワ(ショッパド)、セミヤチク(「シェメク」または「最初の川」)の川の谷をたどり、セミャチンスキー河口近くの海岸に行きました。そして9月末または10月上旬、コサックは5つの大きな川(ベレゾヴァヤ、ジュパノワ、ヴァヒル、オゼルナヤ、ナリチェヴォ)の河口を克服し、「6番目の」川-Khalaktyrka(「Nalakhtyr」)に近づきました。そこから、アバチャ湾のほとりに行くことなく、「7番目」-アバチャ川[9]に行きました。
- 331 まゆG民@EPyBHB6d [2023/11/16(Thu) 13:09]
- В начале сентября отряд, следуя долинами рек Кавыча (Повыча), Жупанова (Шопхад) и Семячик («Шемеч» или «первая речка») вышел к берегу океана в районе Семячинского лимана. И в самом конце сентября или начале октября казаки, преодолев по пути устья пяти (Берёзовая, Жупанова, Вахиль, Озерная, Налычево) крупных рек, подошли к «шестой» реке – Халактырка («Налахтырь»). Откуда, не выходя на берега Авачинской губы, проследовали к «седьмой» – Авача – реке [9].
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