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儚龍(めんgろんg)’s Bulletin Board

1 儚龍(めんgろんg)@PSGoLIoz [2023/08/02(Wed) 12:04]
~Introduction~
Hi bro I’m Menglong(儚龙/儚龍/맹용)🇨🇳🇸🇬🇬🇧🇺🇸,Remember me pls XD! I welcome u & I hope it vice versa,cuz I believe it’s bonds between us is the key in this site or more. Let’s enjoy creation with us,my coming rate is low tho. In this site
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243 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/27(Sun) 12:58]
>>242 上:ロシア人がつけたってよりは、やはり私は日本人が名付けたのだと思います。間宮氏はフヨリーと示していたと?満州語ですかね…?
 中:まぁ、清代に書いてある地図の都市領域が現在のそれに完全に一致するとは限りませんが、伊對は少なくとも清代は地理的に樺太への交通の要衝となるはずなので重要であったはず。今のところ普隆靄も、清代の地図から登場することが多いです。廟街同様、誠に中国王朝の統治が及んでいたのなら、石碑や寺でも見つかりそうなもんですけど、たとえあったとしても、普通に考えれば領土主張されるのを恐れ日本やソ連に破壊されてしまっているのではとも思います。
 下:古代帝国の都市、所謂「先住民」のモノというのは破壊されるのが人類のお決まりです。何故か。それはいまだ知らぬ文明を探査するという好奇心、自身の文明が優越しているという優越感、任務をこなすとしう使命感、後々に人道・民族自決を口実にされるであろう他国の介入や独立運動を避けるため、宗教的に使命が与えられたと考え現地を異教の地として蔑視した、いまだ知らぬ文明のため眠れる獅子として恐れた…など考えられます。現在では、一部の考古学者が従来の説を維持しなければ自身の信用と利益に関わるから、新説や別説の証拠を隠蔽しているという指摘もあります。
 ロシアが考古学的作業に向かないというのは気候的にそうかもしれませんし、最悪の場合、雪水に流される・浸食されるなどして完全に遺構がなくなってしまっているとも考えられます。残るとすれば概ね石造のもののみかと思われます。

244 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/27(Sun) 13:17]
>>242 よく調べてみたんですが、おそらく伊對はポギビではなくマガチ?付近です、申し訳ない。
 さらに詳細らしい地図です。
 http://www.txlzp.com/uploads/allimg/210415/10103523D-0.jpg

245 ラプラス@qqGBTtsS [2023/08/27(Sun) 14:42]
>>243
フヨリーは滿洲というよりかはニヴヒあたりだと思います。
ニコラエフスクではシベリア出兵時に日本が占領していたんですけど赤軍パルチザンによる尼港事件により、日本人などを含む市民のほぼ全員が虐殺されまた建物も粉々に破壊されてるんですよね
もしかしたらその時に、、、

まぁ、中華で言う滿洲系主体の国家であった(確か)清みたいな感じで古代文明で主体となる民族以外の民族が主体となっていた国家があるとそうなりますよね、
独立運動とかもあれでしょうし、、
ロシアはそう言う自然的な影響が強いのかな?
>>244
マガチというと落石(衣堆/亜港)の少し北にある街ですかね?
(でも落石の方が栄えていそうではあるが、、)




246 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/27(Sun) 21:35]
>>245 上;確かに二ヴフ語の選択肢もありますね。尼港事件あたりの出来事については双方の記述が矛盾するものもあり、プロパガンダに活用しやすい性質を持つ事件であることも鑑みると、記述を鵜呑みにしかねますが、日本側の資料に若干偏るならば、パルチザンからしたら元からいた先住民・満州人・中国人・高麗人(ロシア系朝鮮人)などの見分けが日本人とつくはずがないのでそうなったとも考えられます。建物が「全て」破壊されたというような記述は怪しいですが、大半が木造建築だったならば火をつければいいわけで、被害の内容は事実と近いと私は考えます。少なくとも、中国語版Wikipedia及び百度百科には「永寧寺」の石碑が現存していることは写真と記述で確認できるものの…

247 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/27(Sun) 22:10]
>>245 下:「主体となる民族以外の民族が主体となっていた国家」、所謂、征服王朝ですね。中国では、現代の中国では全ての中国の王朝を自民族(中国国内全民族を指す中国人としてのカテゴリ)のものと捉えるものの、清(満州)、元(蒙古)、金(満州=女真)などはまさしく征服王朝。北魏(拓跋部)みたいに征服した民族が自ら漢民族になっていった例は浸透王朝。それらの特徴としては征服者が遊牧民族であったこと(農耕ができない民族)。但しこれらの王朝は多数派が漢民族となるのでこれを常に考慮し、積極的に役人に登用したり譲歩政策を行いながら、自民族の独立性を保つのに尽力したようですが、やはり多勢に無勢か、反乱や革命により倒れていきましたね。金は武力で、元は紙幣を乱発し経済混乱、清の王室は最終的に日本に事実上簒奪されましたね(中:偽満州国/日:満州国) 独立運動というのは如何なる時も、(当該地域で)成功するには多数派であることが条件ですからね。その原理はある意味民主的とも言えます。
 私は樺太については初心者なので、伊對についてはもうちょっとよく調べてから比定します。アレクサンドロフスク=サハリンスキーが伊對だったら嬉しいのですけどね…。現時点ではマガチかな?という感じです。WEIBOで調べるとアレクサンドロフスク=サハリンスキー派、アルコヴォ=ベレク派、マガチ派、ドゥエ派がいましたが…。正直、清代の後の時代となると、ロシアと日本の開発能力は凄まじいものがあったので現在の都市規模は参考になるか微妙というのが自論です。やはり、貴方はアレクサンドロフスク=サハリンスキーを比定されますかね?

248 ラプラス@qqGBTtsS [2023/08/27(Sun) 22:40]
>>246
ほへえ、永寧寺碑って海参崴の博物館に送られたんじゃなかったんじゃなかったんでしたっけ?
でも双国の資料を見たほうがいいかな?
>>247
ですね、結構人口多めの国とかだと国土も拡げやすいでしょうし
あとは独立工作というか革命とかは結構当たり前だったりしますよね()

アレキサンドの方がマガチ(ムガチだと思われる)よりも平地が多いので僕はアレキサンド派ですかね

249 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/27(Sun) 22:48]
>>247 >>244 >>245 ほぼ比定しました。貴方の仰った通り伊對はアレクサンドロフスク=サハリンスキーでした。この都市の日本語版のwikipediaによると、日本語名は落石、二ヴフ語名がイドイーとされています。即ち、イドイーを音写したものが、伊對(Yidui)ですね(日本語の新字体では伊対) 私の見てきた資料を俯瞰すると、もともと集落があったところをロシア帝国?が流刑地にしたらしい。お騒がせして申し訳ない

250 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/27(Sun) 23:14]
>>248 あ、「現存」しているというのはそういう事です、現地にあるってわけではないです。ご存じの通りウラジオヴォストクのアルシェ二ヤフ?博物館内に二つですよね?中国語版Wikipediaによると、1904年に永寧寺の設備が撤去されているようなので、1920年の尼港事件には関係ないかと。それに、永寧寺ってヌルガン城(現在名は、ティル。金代からあったらしい。遺跡は行方不明)にあったので尼港には遠いですし。ヌルガン城のランドマークが永寧寺で、その河口に廟街と廟屯が設置されたと考えるのが相当なのかな?

251 ラプラス@qqGBTtsS [2023/08/27(Sun) 23:32]
>>250
ですね、、同じく中国版Wikipediaで確認しました。
じゃあ尼港事件は関係ないのか、、
でも謎に包まれているヌルガンの情報はディルの現地に行けば分かりそうですが、道路が通っているとはいえ、、、

ああ、それは一理ありますね。


252 儚龍(めんgろん♂)@PSGoLIoz [2023/08/28(Mon) 11:30]
>>251 ロシア人の旅人?のブログを何個か閲覧しましたが、ヌルガン城の存在自体には言及するものもあれど、それに関する遺構については記述・発見がない。現地に行けど考古学調査をしなければ、何か発見するのは難しいと思います。永寧寺や城塞の遺構発見を期待したいところですが、政治的に困難を極めるでしょう。

253 ラプラス@qqGBTtsS [2023/08/28(Mon) 11:44]
>>252
ですね、、少しロシア語版Wikipediaで調べてみようかな?


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